気まぐれ日記

更新は本当に気まぐれです。主にtwitterに書くには長いなと思ったネタを書きます。

陰謀論ブーム到来

陰謀論ブーム到来?

何だか世の中では、陰謀論が大ブームのようだ。

 

色々な立場の人たちが、敵に見立てたグループの陰謀をまことしとやかに語っている。

対立する2つの議論があれば、片側を支持する人たちは互いに相手が密かに陰謀を企んでいるという考えを好んでいるのではと思ってしまう様な状況だ。

 

でも、何でこんなに陰謀論って流行ってるんだろう。

本当に世の中は陰謀に溢れているのだろうか。

世の中が陰謀に溢れているというのは、世の中は悪人に溢れているというのに近い状況だと思うのだけど、今のところそれほどの悪人に会うことはそうそうない様に思う。

 

少しこれについて考えてみようと思う。

 

 

インターネットの普及と陰謀論の普及 

私は陰謀論のブームの背景には、インターネットの普及が関係していると思っている。

インターネットが普及し、世の中に起きた大変化は、情報が早く伝わるようになったこと、そして誰もが発信者になりうる双方向のコミュニケーションが広まったことだ。

 

その結果、情報の量がどんどんと増えるとともに、嘘か本当か分からない情報が増えてきた。

 

また、マスコミや組織が公式に流す情報に関しても、ヤラセがばれるなど、そのごまかしが暴かれるようなことが起きるようになり、情報に対しての一般的な信頼が失われつつある様に思う。

 

また、人間というのは、残念ながら客観的に見るというのは難しい生き物の様で、自分が正しいと思っていることに合う情報を、正しい情報と考えがちな生き物である。

確証性バイアスなんて言い方もするけど、実験してみてもこういう傾向は多くの人に共通している。人間とはそういう生き物なのだろう。

 

そういう生き物な人間が、インターネットを使えば、たくさんの自分が正しいと思う情報と、自分が正しくない情報を陰謀として説明してくれる情報に出会うことができる。

 こんな時代の変化に対応して、多くの陰謀論は消費されているのだろう。

 

こう言う状況では、陰謀論は広まり易く、敵と認めたグループ同士では、お互いに相手を汚い陰謀を企てる卑怯者と思えてしまう。

 

これは非常に非生産的だ。

 

怪しい陰謀論の単純な見分け方

では、どうやって怪しい陰謀から距離を置くことは可能になるのだろうか。

 

私は凄くシンプルな方法を採用している。

 

その陰謀が実施される為に、陰謀の首謀者となる必要人の人数を数えてみることだ。

計算なんて正確にする必要はなくて、多そうか少なそうかを考えてみれば十分だ。

これだけで、現在出回ってる多くの陰謀論は、信じがたいものだと分かる。

 

陰謀が陰謀として成立するには、相手を騙そうとする人が居なければいけない。

そして、騙す人たちの間で秘密が共有されており、外部に騙そうとしたことがばれるような決定的な証拠が漏れてはいけない。

今の時代で、そんなものが漏れればあっという間に拡散し、消去するのはほぼ不可能だ。

つまり、強い結束に守られた秘密の共有みたいなのが陰謀には必要なのだ。

 

さて、そんな兄弟杯とか運命共同体みたいな絆はどれほどの人数の間で共有できるのだろうか。

何せやっているのは、陰謀、一種の詐欺だ。

普通の人間であれば何らかの後ろめたさを感じてしまう。

また、首謀者で仲間割れが起きれば、あっという間にネタがばらされてしまうことだろう。

 

なので、首謀者を増やすことは、バレるリスクを上げることと同義だ。

騙されて広める人は多いにこしたことはないが、騙す側は少数でなければ危ない。

 

だから、ある陰謀が正しいと考えた時のどの人が首謀者でどの人が騙されて広めている人にあたるのかを数えてみるのだ。

数えるのは、その陰謀の中身を正しいかどうか確認出来そうな人の人数だ。

陰謀論でも多くの場合、現場にいる人であれば、その話が正しいか与太話なのか、試して確認することができるケースは多い。

 

そういう話の場合、世の中に広まっている陰謀論には、数千、数万の人が首謀者でないと成立しないものがあることが分かる。

 

これは陰謀をやるには、多すぎる人数だ。

 

そんな陰謀を信じることは、それだけの人数が一致して一つの嘘を作り上げるストーリーを信じることだ。

サンタクロースみたいな善意の話でさえそれは難しい。

そこに悪意があるならそんなことを信じるのがどれだけ馬鹿げたことか分かるだろう。

 

陰謀論に騙されないために

話をまとめると、

人間は、自分が正しいと思ってることを、勇気づけてくれる情報を信じがちだ。

これは、自分も含めてそういうものと諦めた方が良い。

その上で、一見正しそうな話でも、それが正しいために、どれだけの巨悪が必要なのかを考えてみる良い。

あまりに多人数の首謀者が必要な話は、このインターネット全盛の時代にバレずに進めるのはほぼ不可能だ。

それを考えるだけでも、陰謀論の多くは、信じたくても信じがたいものであると理解できるだろう。

 

インターネットの普及により、情報をたくさん持つことに意味がある時代から、情報を見分ける出来ることが出来ることにより価値がある時代に変わりつつある。

 

○○は実はこんな裏があるんだ、みたいな話にあった時は是非試して欲しい。

結構、有用な基準になるはずだ。