気まぐれ日記

更新は本当に気まぐれです。主にtwitterに書くには長いなと思ったネタを書きます。

食べログ炎上と公と私と

何やら、食べログが炎上中らしい。

少しモヤッとする感じがしたので考えをまとめてみる。

 

炎上事件の発端は、ある飲食店が、食べログの提供する広告サービスを断ったら、星が3にリセットされたと書き込んだことのようだ。

 

真偽の確かめようも無いような噂話に見えるのだけど、大炎上して、株価も下がったようだ。

 

私は、普段、特性を理解してれば便利なサービスとして、食べログを愛用してるのだけど、なんと言うか凄く違和感を感じている。

 

まず、食べログが広告を載せた/載せない店の数字を明らさまに操作してるみたいな話が、結構広まってるのだけど、ちょっと一息置いて、考えてみて、ウェブ企業がこんなことをしたらどうなりそうだと想像します?

まず、普通にウェブを利用してる人なら、いかにも炎上しそうだと思わない?

それをウェブを飯の種にしている企業が想定しなかったみたいな話が、ちょっと私には信じがたいのだけど、どうだろうか。

価格.comは、大手だから、揉み消せる!?

多分、その発想自体、ウェブに詳しくない人の発想だと思うよ。

 

食べログみたいな、アクセス数を増やして広告収益を得るみたいなビジネスモデルのところは、そんな機能がばれてアクセス数が下がれば、たちまちに利益が下がるわけだしね。

新興の儲かってない企業ならともかく、そもそも大手で、既にアクセス数をベースにした広告収益を得ている食べログが、それをやる理由が分からない。

Googleなんかと一緒で、お客にプレッシャーかけて、無理矢理広告費取るより、アクセス数増やして、広告価値を高めて、お客が来るのを待つ方のモデルだと思う。

まあ、個人として強引な営業する人が、組織内にいるならまだありえそうだけど、組織として目指す方向は、アクセス数増加の方向じゃないかと思うし、それにマイナスになりそうなことはしないのではと思う。

 

多分、普段から使ってる人は誰もが気づいてると思うけど、食べログは、何日か前に店の評価の仕方を変えている。

それまでと、掲載順位が入れ替わったお店が結構あった。上がった店も下がった店もあったし、普段から見てた私は、上がった店に試しに食べに行ってみてたりしてた。

 

私が行った店の話で言えば、上がった店は美味しかったし、広告掲載はしていない。

 

なので、炎上事件を聞いて、何だか違和感を感じている。

 

そもそもなんで炎上したんだろう。

 

私の考えでは、食べログは、飲食店から元々嫌われてたから、ネガティヴな噂が一気に広まったのでは無いかと思う。

 

なぜ、そんなに嫌われていたのか。

 

それは、公と私の概念に関して、食べログとある一定の日本人の間に大きな隔たりがあるためではないかと私は考えている。

 

それは、公人と私人が居るのか、誰もが公人であり、私人であるのかと言う考え方の違いだ。

 

公人と私人が居ると考えてる人は、公人に関してはプライベートが報道されるのも当然だと考えていて、私人に関しては、その人の仕事上の話や社会との関わり方でさえ、報道されるべきではないと考えている。

 

公人か私人は、その人について周る属性だと考えている感じだ。

 

私は個人的には芸能人のプライベートの報道とか大嫌いなんだけど、そう言うのが受容される素地にはこういう考え方があるんだろうと思う。

 

それに対して、誰もが公人であり、私人であると言う考え方は、その行為が、公的な場でなされたのか、私的な場でなされたのかに着目している考え方だ。

公的な場でなされた行為は、公的なもので報道の対象になるし、私的な場でなされた行為はそうではないと言う考え方だ。

この考え方の場合、芸能人のプライベートの報道はマナー違反だし、一般人の仕事に関して、報道するようなことは、基本的に許可も不要でOKだ。

 

例えば、グーグルのストリートビューが、パブリック空間にいる一般人をガンガン載せてるのは、この考え方が分かると理解できる。

写真なんかでも、場で分ける考え方が主流だと、公的な空間で撮った写真に写り込んでる人に、いちいち許可を取る必要はない。

 

違和感を感じる方も多い考え方かもしれないけど、場で分けるか、人で分けるかは、どちらかが正しいと言う性格の話では無いように思う。

 

さて、話を食べログに戻すと、食べログが(特に飲食店から)嫌われる理由は、公と私を、場で分ける考え方を採用しているからだ。

 

この考え方では、商売はそもそも公的な行為なので、掲載許可など必要ない。

公的な話なので、勝手に載せるのが前提で、載せないでくれと言う特別な希望があった場合に、掲載を中止する。

しかし、この考え方を採用していない人からみると、自分の商売という一般人の行為を、勝手に報道されるのは、マナー違反なのだ。

ましてや、それが悪い評価なら尚更だ。

これは、他の考え方もあると想定してなければ、許し難い傍若無人である。

当然のこととして、多くの敵が生まれるだろう。

 

さて、ここで少し話の視点を変えると、食べログみたいな口コミサイトがない頃ってどうだったのだろうか。

よく見る議論で言えば、チェーン店の天下だった。

どこに行っても、平均点の味が出てくるチェーン店の安心感に、有名でない個人商店はなかなか勝てなかった。

しかし、インターネットを介した口コミが広まったことで、その状況は変わりつつあると言われている。

個人店でも、味が良ければ、ネットを介した口コミで新規客がどんどん来る状況が生まれつつあるのだ。

 

私なんかは、初めて行く地方都市食事をする際に、昔に比べてハズレを引きにくくなって、とても便利になったなぁと実感しているので、食べログにはかなり好意的だ。

 

しかし、この状況を作り出すには前提として、公と私を場で分ける考え方がなければ、厳しい。

そうでなければ、どんどんと生まれる新店舗、全てを回って掲載許可を得るみたいな商売になる。

これをやると、おそらく昔の情報誌みたいにお店から広告掲載料をもらって、もらった額に合わせて大きく、好意的に紹介するみたいなことをしなければ、でかすぎるコストを賄えないだろう。

果たして、あの頃の方が、便利だったのだろうか。

 

もちろん、口コミサイトは、それまでの口コミが良いとこが実際以上に評価され易いのは、事実だし、評価の観点は人それぞれなので、首をかしげるようなお店が、好評価なことも良くある。

しかしなぜか高評価なお店は、よくよくみてると多くの場合、共通点がある。

単純に、私とは評価軸の違う人が一定の数いると理解すれば、レビューを確認することで、自分の好みではない高評価の店を回避することは十分に可能だ。

 

今回の食べログ炎上。

果たして起きているのはどんなことだろうか。

私の推測があっているかは分からないが、視点を広げる意味にくらいはなるのではないかと思う。