気まぐれ日記

更新は本当に気まぐれです。主にtwitterに書くには長いなと思ったネタを書きます。

低確率・高影響な事象のリスク

日経ビジネス、詳細なデータなしで原発廃止を提言した報告書」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110926/222801/
を読んでいてふと思ったこと。

予防措置等を考えるとき、リスクの評価の話は重要だ。

リスク=あることが起きる確率×起きた時の影響

これがリスクの簡単な定義。
例えば、あることが起きる確率が高ければ、
起きた時の影響が中くらいでもリスクは高いし、
起きる確率が低ければ、起きた時の影響が大きくてもリスクは小さい。

低確率×大きな影響=低いリスク 

という話の代表例として飛行機事故なんかがよくあげられる。

余談だが、複数の出来事が起きる場合には、
複数の出来事がお互いに全く影響を及ぼさない(互いに独立)なら、
単純に足すことになるし、
影響があるのならば、同時に起きる確率と、その時の影響を場合分けして、
計算することになる。

まあ、正確な話ではないけど、出来事別に確率と影響を掛け残して、
それぞれのリスクを計算してから、足すくらいに漠然と捕まえてもらえば良いかも知れない。

さて、ここで確率は非常に小さいが被害が非常に大きい時の話を考えてみよう。

仮に、普通にリスク計算をした時の計算結果は、
飛行機事故と同程度とでもしてして置こうか。
ただし、影響が飛行機事故とは比べ物にならないくらい大きい変わりに、
起きる確率は飛行機事故に比べて、とても低いとする。

例えば、千年に一度。

この時、もう1つ別の論点が必要なのではないだろうか。
それは予測の精度である。

実験室での話ならば、何かが起きる確率はある程度コントロール出来る。
しかし、実験室の外の話の場合、全ての要因をコントロールすることは不可能だ。

そういう時に、リスク計算はどうやるのかというと、大きく分けて2つの方法がある。

1つは、経験的に導きだされた数字を利用すること。
あまり、科学的でないような印象をうけるかも知れないが、
実際に世の中が動く前提には多くの経験則の数値が使われている。
保険の計算なんかは経験則の世界だし、
工学系・農学系の教科書を少し読めば、
そこには理論値とは別の経験則から導きだされた数値が山ほどある。
実社会で何かを作るときなんかは、
理論値ではなくて、その経験的数値に基づいた計算で作らないと動かないなんてことはよくある。

もう一つは、前提条件を置くこと。
例えば、事故等の事象が起きるときのシナリオを仮定することである。

この時、1000年に1度という確率は2重の意味で疑わしい。
まず、第1に、経験則に基づく数値は、
1000年という時の長さに耐えられる程の数値の精度を持っているのかという点だ。
数値の精度の問題で100年程度で使い物にならない誤差が生まれるなら、
1000年という数値は正確な表記で1000年±何年になるのだろうか。
(※100年という予測が80年〜120年の確率が高いなら、正確には100年±20年と書く)
リスク計算をするならこの誤差を含めて、リスクを±付きで書かないと話がよく見えなくなる。

そして第2にシナリオを置いて仮定するという手法自体の限界の問題だ。
シナリオによる仮定という手法は、何年程度の予測に対して有効な手法なのかという話が抜けて、
無批判にリスク計算の前提に乗っているように見える。
シナリオ分析の手法は果たして、1000年先をきちんと予測できるのだろうか。
ある程度期間が長くなると、どこかでシナリオの予測の外にある重大な要因が、
入り易くなってきそうな印象を受ける。
この分析手法は、そもそも100年程度までの適用が限界な可能性もあるのではないだろうか。

さて、ではどう考えるのか。

影響が極めて大きく確率が極めて小さいような話に限ればだけど、
予測の限界というのが一番の鍵になるのだろう。
分析手法の限界を含めて、最も精度が悪いところ、
例えば100年に、被害額を掛けたリスクが最も大きいリスクとしてありうるが
正確な数値はよく分からない以上のことは、
実は言えていない状況なのではないだろうか。

不確実性を伴う選択の問題。
それが不可逆性、被害が起きたら戻らない状況を伴うのであれば、
不確実な範囲より安全に予防する、予防原則の出番ではないだろうか。

そんなことをふと考えた。