海辺のカフカとエヴァンゲリオン
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2002/09/12
- メディア: 単行本
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大分前に友人から借りて以来、部屋で醸造中だった海辺のカフカを、ここ半月ほどで読んだ。
後半、ストーリー展開がどんどんと加速していくと共に惹きこまれ、普段お決まりの寝る前ベットの上にてのみならず、久々に暇さえあればで読んだ本になった。
何となくだけど、これは村上春樹の書いたエヴァンゲリオンへのオマージュの様な気がする。
勿論、ギリシャから続く古くて新しいモチーフが主題なのでたまたまそう見えただけかも知れないけれど。
この先はネタバレになるような気もしなくはないので、嫌な人は読んでからどうぞ。
人は、人の精神はとても不完全に出来ている。そこにぽっかりと空いた大きな空白。
その空白をお互いに埋めあう事で人は生きている。
だから、殆どの人間にとって孤独が非常につらいのかもしれない。
時々、その空白を埋めあう作業は偶然に完全と見えるような美しい調和を見せ、その関係は幸福に満たされる。
しかし、人の精神は周りの変化と共に少しずつ形を変えてゆき、空白の形もそれと共に変わることもある。一度見つけた調和が永遠に続くとは限らない。その時、人はきっと、とても大きな空白を感じる。
空白をいかに埋めるか。そのことは人の抱える大きなテーマであり、それに対して自分が強くなることで解決を図ろうと試みる人も多い。若い時は特に。
でも、それは多くの場合、上手くはゆかない。多くの場合、人の精神はそれほど強くはないし、そもそも、この問題はきっと、強くなろうとした人も分かってるだろうけど、人と精神が触れ合う事でしか解決しないから。
肉体を捨てて、真に魂が触れ合う世界へ行けば、自然に相手を受け入れる事が出来る。自分は相手の中に居て、相手は自分の中に居る。それが当たり前であり、その世界に慣れるという事はそういうことが出来るようになる事。
それはとても幸福な世界かもしれない。
どちらの物語も、主人公も強い空白を抱えて、その空白を主題に物語は進んでいく。そして、過去に一瞬の偶然や仮想の世界によって、自らが抱える空白を強く意識する人物が主人公の周りには居る。
もしかしたら両方のストーリーには共通の有名なモチーフがあるだけなのかも知れないけれど、僕にはこれはエヴァンゲリオンへのオマージュに見えた。
それは僕の世代だからかもしれない。エヴァンゲリオンがラストに行くに連れて、惜しくも崩壊していったがために捧げられたオマージュ。そんな気がした。
この時代に純文学を書きながらヒットを出せる作者の、凄さを見た気がする。
この本を読み終え、自分の中の空白にとても強く意識がいく。
読み終えた日の夜、仲の良い友達や、知らない気の合う人たちと大きな家で、一緒に暮らしている夢を見た。
修学旅行のような楽しい時間で、僕は芯から幸福だった。
大笑いをした拍子に現実の自分も笑って目が覚めた。
凄く気分が良かった。
ここ数年、どちらかというと僕は消極的にこの空白と係わっていた事に改めて気付く。
埋めたいとは思うけれど少し諦めたようなところもあるのかも知れない。
空白を意識していない訳ではなく、むしろ逆に強く意識している。人より空白が大きいのではないかと思うことも多々ある。
ただ、理解されないのが怖くて、空白が埋まらない事が怖くて、逃げているだけなのかもしれない。
逃げながらも、普通の触れ合いの中で、多少は空白感を誤魔化せる。
でも、逃げていても何も解決してない。空白はぽっかりとそこにある。
逃げるようになってから、めったに埋まらない。
でも、下手に出てしまうと多くの場合、ひかれてしまう。それが怖い。
昔はもっと上手く埋めていた気がするけど、きっと変わったのだから昔と同じ事をしようとしても駄目なのだろう。
恐怖を感じなくなる事はない。恐怖を横に置いておくことは、出来るようになるけれど。前に何かの漫画でこんな台詞を読んだ気がする。
空白をきちんと意識して、横に置いて人と接するようしたら少しは変わるかな。