ユーロ圏に起こるかもしれない銀行のマイナス金利を考える
ニュースに気になる話題があったので連続でツイートした内容を少し整理して記事にする。
ユーロ圏の銀行、大半がマイナス金利に対応する準備整う | Reuters
引用ここから
[ロンドン 30日 ロイター] - ユーロ圏の大半の銀行は、欧州中央銀行(ECB)が6月5日の理事会でマイナス金利を導入したとしても、業務面で対応できる準備が整っていることを自国の中銀に伝えている。
ユーロ圏の銀行で短期金融市場部門を担当する幹部は、マイナス金利が導入された場合、業務にどのような影響が出るかが問題となるが、ECBが1年以上にわたってマイナス金利導入を示唆していることから、銀行のシステムを含め、対応する準備は十分整っているとの見方を示した。
〜以下略〜
引用ここまで
このニュースを見て、マイナス金利には違和感を覚える人も多いだろう。
しかし、現実に起こりかけている。
でも、マイナス金利は、よく考えるとおかしくもないのかも知れない。
このニュースで、下の本の中でダスグプタにより紹介されていた議論を思い出したので、噛み砕いて紹介する。
Amazon.co.jp: 経済学 (〈一冊でわかる〉シリーズ): パーサ・ダスグプタ, 植田 和弘, 山口 臨太郎, 中村 裕子: 本
利子がつく、すなわち
"現在のお金を貯蓄に回すためには、将来には利子分だけ価値が増えることが必要だ"
と人が考えることの根拠は、大きく分けて2つある。
1つめの根拠。
人は今消費する方が、未確定の将来消費するより良いと感じること。
2つめの根拠。
前提として、今よりも将来の方が社会が豊かになり、個人の消費が増えると仮定する。
すると、将来は、既に豊かなために、同じ額を消費した時に感じられる満足度が減ると考えられる。
なので、将来のお金は、利子がついてないと今と同じ満足度が得られない。
この議論は、現在と10年後の個人の将来を考える場合には、感覚的にも合い、よく分かるかもしれない。
しかし、現在世代と100年後の世代を比べる時には、注意が必要だ。
ダスグプタの議論によると、プラスの金利の2つの根拠に対する疑問は次の点になる。
第1の根拠について。
現在消費した方が、不確定な将来に消費するより価値が高いという話は、貯蓄しなかった結果が本人に行くのと他人に行く場合で大きく違う。
現在消費しすぎたことで、将来本人が苦労するのと、放蕩した先祖の為に、子孫が借金を背負ったとこからスタートとなるのは一緒にできない。
現在の自分の幸福の為に子孫に借金を負わせる行動を取ってしまうことには、倫理的問題がある。
地球温暖化や自然資源の減少を念頭に置くとき、現在、消費することの価値が高いという感覚的な理解は、世代を挟む様な期間の議論で、無前提に許されることだろうか。
第2の根拠について。
現在より将来の社会が豊かで個人の消費が増えるという議論が前提条件になっている。
しかし、これはあくまでも仮定である。
ここでも温暖化や自然資源の減少が念頭に置かれる。
現在の消費によりダメージが深刻化してしまうと、将来世代は、現在より豊かではないかもしれない。
上記の議論がダスグプタにより紹介される文脈は、経済学者が集まり、現在、最も重視すべき課題は何かというという議論を行った結果に対しての批判である。
議論の結果、地球温暖化対策は、優先順位が低いとされた。
しかし、被害が将来だと言う理由で、価値付けを下げるのは誤りだと批判している。
お金が減るのに、銀行に預ける奴なんているかって思う人は、日本で自分が使ってる銀行の通帳で、銀行から貰う額と払う額、どちらが多いか確認すると良いだろう。
さて、話は変わるが、流行のインフレターゲットは、安定的な低率のインフレを維持することで、実質金利を下げる政策である。
で表される。
つまり名目金利が0に近い時に、物価を上昇させると、実質金利はマイナスになる。
これも、実はマイナス金利の世界である。
もちろん、冒頭で消化したEU中銀の政策もインフレターゲットでのマイナス金利政策も、不況に対応し、景気拡大を意図した政策だ。
一時的なマイナス金利により、市場の調整が働き始めれば再び社会は成長に向かい、金利は上昇していくと想定している。
しかし一方で、一時的かもしれないが市場均衡点がマイナス金利付近になっている状況に対応した政策という側面もある。
環境問題を念頭に置いた時、将来の社会は現在より豊かなのだろうか。
経済成長はフロー、お金が動いた量で図られるが、ストック、貯金を切り崩して多くのお金を動かしているだけになってはいないだろうか。
そうなれば、フローの成長は持続的には成り得ず、現在のフローの成長は、ストック減少による将来のフロー停滞を意味しかねない。
そこに疑義を呈しているのも、全く別だがマイナス金利の世界を論じたものだ。
また、この世界では、将来の被害は、現在の常識と逆で、現在の被害より高いと見積もられることを意味する。
将来と現在に対しての価値判断の基準も当然変わる。
興味深い。