気まぐれ日記

更新は本当に気まぐれです。主にtwitterに書くには長いなと思ったネタを書きます。

経営的人生論

最近、思い付いた人生と経営戦略の共通点話が割と受けが良かったのでシェアしてみる。


経営戦略は、収支の改善と言う大目標に向かって、戦略を最適化する手法論。

それに対して人生の大目標って何だろう。

私は、気持ち良く生きることだと思ってる。

では、気持ち良く生きるとは、どう言う事だろうか。

快適なことを増やし、不快なことを減らす。

大きくはこの2つに分けられる。

ピンときた人もいると思うけど、収入を増やし、支出を減らす。

これが経営戦略の基本であり、両者の構造には共通点がある。


こんなことを思い付いたのは、多分、東京に来て、エンジニアとか、ロジック重視のスタンスな人と関わることが増えた中で抱いた違和感だ。

彼らが言うには、食事を選ぶと言う不快な行為から解放される為に、毎日同じものを食べて、大丈夫な簡単に取れる食事が欲しい。完全食に期待してるって事らしい。

服を選ぶのが面倒だから、制服やスーツって最高だよねって議論と同じで、気持ちはどこか分からなくもないけど、どこかに違和感のある議論だった。


ある日、ふと違和感の謎が解けた気がしたのだけど、きっとそれは、経営戦略で言うところのコストカット経営なんだと思ったんだ。

コストカット経営って言うのは、収入を伸ばすよりも、コストカットを優先させる経営。

収入を伸ばすのに比べて、短期的に結果が出やすいので、収支を改善したい経営者が飛びつき易いって特性がある。

でも、そればっかりに集中すると、長期的に必要な投資が不足して、収入が増えなくてジリ貧なんてのが、よくある話だ。


話を人生論に戻すと、完全食を毎食食べたいとか、毎日ユニフォームを着たいってのは、完全にコストカット経営なんだよね。

不快を減らす事に過度に集中していて、快楽を増やすための投資が欠けてるのではと言うのが私の違和感の正体みたいだ。

もちろん、快楽は色々あるので、どこかで快楽を得て、他は不快を減らす事で人生を楽しむってのは、悪い戦略ではない。

でも、私の見る限り、そこまで割り切れてる人はそんなに居なくて、ただ不快を減らす事に集中してるとしたら、それはジリ貧になりそうな経営だ。

その人に合った投資をすれば、得られるリターンは、きっとあるはずだ。


大都市で暮らしてると、ストレスが多くて、不快さを減らすのに目が行きがちなのかも知れないけどね。

でも、人生を楽しむには収入を増やすのと、支出を減らすののバランスが大切だから、めんどくさいことも、試しにもっとしてみたらって思うんだ。

食べログ炎上と公と私と

何やら、食べログが炎上中らしい。

少しモヤッとする感じがしたので考えをまとめてみる。

 

炎上事件の発端は、ある飲食店が、食べログの提供する広告サービスを断ったら、星が3にリセットされたと書き込んだことのようだ。

 

真偽の確かめようも無いような噂話に見えるのだけど、大炎上して、株価も下がったようだ。

 

私は、普段、特性を理解してれば便利なサービスとして、食べログを愛用してるのだけど、なんと言うか凄く違和感を感じている。

 

まず、食べログが広告を載せた/載せない店の数字を明らさまに操作してるみたいな話が、結構広まってるのだけど、ちょっと一息置いて、考えてみて、ウェブ企業がこんなことをしたらどうなりそうだと想像します?

まず、普通にウェブを利用してる人なら、いかにも炎上しそうだと思わない?

それをウェブを飯の種にしている企業が想定しなかったみたいな話が、ちょっと私には信じがたいのだけど、どうだろうか。

価格.comは、大手だから、揉み消せる!?

多分、その発想自体、ウェブに詳しくない人の発想だと思うよ。

 

食べログみたいな、アクセス数を増やして広告収益を得るみたいなビジネスモデルのところは、そんな機能がばれてアクセス数が下がれば、たちまちに利益が下がるわけだしね。

新興の儲かってない企業ならともかく、そもそも大手で、既にアクセス数をベースにした広告収益を得ている食べログが、それをやる理由が分からない。

Googleなんかと一緒で、お客にプレッシャーかけて、無理矢理広告費取るより、アクセス数増やして、広告価値を高めて、お客が来るのを待つ方のモデルだと思う。

まあ、個人として強引な営業する人が、組織内にいるならまだありえそうだけど、組織として目指す方向は、アクセス数増加の方向じゃないかと思うし、それにマイナスになりそうなことはしないのではと思う。

 

多分、普段から使ってる人は誰もが気づいてると思うけど、食べログは、何日か前に店の評価の仕方を変えている。

それまでと、掲載順位が入れ替わったお店が結構あった。上がった店も下がった店もあったし、普段から見てた私は、上がった店に試しに食べに行ってみてたりしてた。

 

私が行った店の話で言えば、上がった店は美味しかったし、広告掲載はしていない。

 

なので、炎上事件を聞いて、何だか違和感を感じている。

 

そもそもなんで炎上したんだろう。

 

私の考えでは、食べログは、飲食店から元々嫌われてたから、ネガティヴな噂が一気に広まったのでは無いかと思う。

 

なぜ、そんなに嫌われていたのか。

 

それは、公と私の概念に関して、食べログとある一定の日本人の間に大きな隔たりがあるためではないかと私は考えている。

 

それは、公人と私人が居るのか、誰もが公人であり、私人であるのかと言う考え方の違いだ。

 

公人と私人が居ると考えてる人は、公人に関してはプライベートが報道されるのも当然だと考えていて、私人に関しては、その人の仕事上の話や社会との関わり方でさえ、報道されるべきではないと考えている。

 

公人か私人は、その人について周る属性だと考えている感じだ。

 

私は個人的には芸能人のプライベートの報道とか大嫌いなんだけど、そう言うのが受容される素地にはこういう考え方があるんだろうと思う。

 

それに対して、誰もが公人であり、私人であると言う考え方は、その行為が、公的な場でなされたのか、私的な場でなされたのかに着目している考え方だ。

公的な場でなされた行為は、公的なもので報道の対象になるし、私的な場でなされた行為はそうではないと言う考え方だ。

この考え方の場合、芸能人のプライベートの報道はマナー違反だし、一般人の仕事に関して、報道するようなことは、基本的に許可も不要でOKだ。

 

例えば、グーグルのストリートビューが、パブリック空間にいる一般人をガンガン載せてるのは、この考え方が分かると理解できる。

写真なんかでも、場で分ける考え方が主流だと、公的な空間で撮った写真に写り込んでる人に、いちいち許可を取る必要はない。

 

違和感を感じる方も多い考え方かもしれないけど、場で分けるか、人で分けるかは、どちらかが正しいと言う性格の話では無いように思う。

 

さて、話を食べログに戻すと、食べログが(特に飲食店から)嫌われる理由は、公と私を、場で分ける考え方を採用しているからだ。

 

この考え方では、商売はそもそも公的な行為なので、掲載許可など必要ない。

公的な話なので、勝手に載せるのが前提で、載せないでくれと言う特別な希望があった場合に、掲載を中止する。

しかし、この考え方を採用していない人からみると、自分の商売という一般人の行為を、勝手に報道されるのは、マナー違反なのだ。

ましてや、それが悪い評価なら尚更だ。

これは、他の考え方もあると想定してなければ、許し難い傍若無人である。

当然のこととして、多くの敵が生まれるだろう。

 

さて、ここで少し話の視点を変えると、食べログみたいな口コミサイトがない頃ってどうだったのだろうか。

よく見る議論で言えば、チェーン店の天下だった。

どこに行っても、平均点の味が出てくるチェーン店の安心感に、有名でない個人商店はなかなか勝てなかった。

しかし、インターネットを介した口コミが広まったことで、その状況は変わりつつあると言われている。

個人店でも、味が良ければ、ネットを介した口コミで新規客がどんどん来る状況が生まれつつあるのだ。

 

私なんかは、初めて行く地方都市食事をする際に、昔に比べてハズレを引きにくくなって、とても便利になったなぁと実感しているので、食べログにはかなり好意的だ。

 

しかし、この状況を作り出すには前提として、公と私を場で分ける考え方がなければ、厳しい。

そうでなければ、どんどんと生まれる新店舗、全てを回って掲載許可を得るみたいな商売になる。

これをやると、おそらく昔の情報誌みたいにお店から広告掲載料をもらって、もらった額に合わせて大きく、好意的に紹介するみたいなことをしなければ、でかすぎるコストを賄えないだろう。

果たして、あの頃の方が、便利だったのだろうか。

 

もちろん、口コミサイトは、それまでの口コミが良いとこが実際以上に評価され易いのは、事実だし、評価の観点は人それぞれなので、首をかしげるようなお店が、好評価なことも良くある。

しかしなぜか高評価なお店は、よくよくみてると多くの場合、共通点がある。

単純に、私とは評価軸の違う人が一定の数いると理解すれば、レビューを確認することで、自分の好みではない高評価の店を回避することは十分に可能だ。

 

今回の食べログ炎上。

果たして起きているのはどんなことだろうか。

私の推測があっているかは分からないが、視点を広げる意味にくらいはなるのではないかと思う。

安保法案について、賛成派と反対派をみて感じたこと

安保法案関連の話題が盛り上がってる。

私の周りには、賛成派の人、反対派の人、それぞれ顔が見えて、どういう人かわかる人達がいる。

 

私は反対派だけど、どちらも私と考えが近いか遠いかの差こそあれ、理解できる考えだと思っている。

 

その両者が周りにいて、見える人にとっては色々な考え方をみながら自分のスタンスを決めれば良い話だし、片側ばかり見ている人は、相手を理解不能な生物と単純に捉えずに、もう少し何を思っているのかを見てみたほうが良いのではと思う。

 

さて、繰り返し、言っている話だが、今回の話は、賛成派と反対派の議論がかみ合っていない。

それによりお互いに、不信感を募らせ、相手が意味不明なことを言っていると思ってしまいがちではないかと思っている。

 

そこの整理を試みたい。

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憲法解釈を変更するって、民間活力を軽視してるって話なんだけど。

安保法制の議論は、内閣法制局VS内閣なのか?

安保法制について話題になっているけど、賛成派と反対派では、論点がかみ合っていないのではないでしょうか。

 

例えば、下記のリンクなんかはその典型例です。

 

blogos.com

 

リンク先には下記のような記述があります。

 

”与党推薦の早稲田大学長谷部恭男教授の発言を見ます。
大きく2つありますが、
①「集団的自衛権の行使が許されるという点については、私(長谷部教授)は憲法違反だと考えております」
②「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかないし、法的な安定性を大きく揺るがすものだ」
とのことです。

 

この②が問題である理由として、

 

”この後に教授も発言されていますが、憲法内閣法制局を中心として紡ぎあげてきた解釈があり、文言・条文から直接わからない場合は、解釈を通じて意味を確定していくことになる」というわけです。すなわち、「内閣法制局が積み上げてきた見解をひっくり返すもので」問題だ、としています。
私は全く逆で、法制局が一度出した結論が未来永劫に変えられないとするのは問題だと思っています。内閣法制局は、あくまでも役所(=行政)の一つの局なのに、そこが一度でも憲法解釈をしてしまうとその後は変えられないとなれば、内閣法制局が「憲法の番人」の役割を担ってしまいます。確かにこれまでは法制局は事実上の憲法の番人「的」な役割を果たしてきました。しかし一役所の一部門が出した解釈が未来永劫変えられないということは、突き詰めると仮にその解釈が間違っていたとしても変えることができないという話になってしまうわけです。”

 

と言っています。

 

これは、長谷川教授の発言②の前半部分、従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」という部分に反論しているものです。

 

しかし、引用されている長谷川教授の発言でより重要な部分は、後半の「法的な安定性を大きく揺るがすものだ」にあるので、この反論は論点がずれているように思います。

 

誰が解釈したか?は、重要度が低く、「仮にその解釈が間違っていたとしても変えることができない」ことこそが重要だということです。

 

つまり、論点として、「ルールの解釈者は誰か?」という問いは重要ではなく、「ルールが安定しているか?」という問いがより重要だということです。 

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芸術祭と回遊性、もう一つの側面

私はなぜか写真展の方が良いと感じた

この春、京都では2つの芸術祭が開催されていた。

PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭

 

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KYOTOGRAPHIE

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両方を周ってみて感じたこと、しばらくもやもやしていたことがまだもやもやしているので書いてみようと思う。

 

まず、私の基本的なスタンスを言うと、現代アートの方が、写真展よりも好きなことが多い。

 

しかし、今回、両方を周った感想としては、KYOTOGRAPHIEの方が良かったと感じた。

それがなぜかというのを、少し考えてみたい。

 

恐らくだけど、それは回遊性の違いにあったのだろうと思う。

 

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陰謀論ブーム到来

陰謀論ブーム到来?

何だか世の中では、陰謀論が大ブームのようだ。

 

色々な立場の人たちが、敵に見立てたグループの陰謀をまことしとやかに語っている。

対立する2つの議論があれば、片側を支持する人たちは互いに相手が密かに陰謀を企んでいるという考えを好んでいるのではと思ってしまう様な状況だ。

 

でも、何でこんなに陰謀論って流行ってるんだろう。

本当に世の中は陰謀に溢れているのだろうか。

世の中が陰謀に溢れているというのは、世の中は悪人に溢れているというのに近い状況だと思うのだけど、今のところそれほどの悪人に会うことはそうそうない様に思う。

 

少しこれについて考えてみようと思う。

 

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ある王国の物語

むか〜し、むかし、あるところに、長引く不況と

積み重なる王国の借金に苦しむ国がありました。

 

王宮では、経済運営を巡り、大臣達が二つの派閥に分かれて争っていました。

一つの派閥は、

「積み重なる王国の借金はもう限界です。

まずは借金の返済をしなければ、王国は破産してしまいます。

まずは、財政再建を。それから景気を回復させましょう。」

と言います。

 

一方、もう一つの派閥は、

「民の暮らしは長引く不況で荒んでおります。

まず、景気を回復しなければ、王国はめちゃくちゃになってしまいます。

まずは景気回復を。それから財政再建をしましょう。」

と言います。

 

対立する意見に王様は困ってしまっていました。

 

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